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新入学?新学期を迎える学生のみなさんへ
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新年度が始まりました。キャンパスの賑やかさとは一见同居しないような、しかしそこにこそ存在する「さみしさ」のような気持ちは、きっと皆、多かれ少なかれあるのではないでしょうか。キャンパスで周囲の人々と言叶を交わし、行动を共にすることもある。けれども自分のこころは周囲の人々から离れたところにある、そんな感覚です。
新入生础さんの场合、周囲は新しい生活をとても楽しんでいて(少なくとも楽しそうに见える)、自分も共に谈笑して过ごしている、けれども内心は皆に驯染めるかどうか不安でたまらない。それを表に出すことができず一人で抱えている???。
新3年生Bさんの場合、昨年度の授业で発表時に緊張して非常に恥ずかしい思いをしてしまった。周囲は気にするなと声をかけてくれるけれども自分の不甲斐なさを思うと気持ちが縮こまり、大学に足が向かなくなりそうな不安を抱えている???。
础さんも叠さんも、不惯れな场面で复雑な思いを経験し、そのことがずっと头から离れなくなり、身体が缩こまり、足踏みしそうな気配が感じ取れますね。
大势の人の中にいながら「さみしい」と思うことは、多くの人が体験することです。でも「さみしさ」など自分が気になっていることに焦点を合わせ过ぎると、紧张して视野が狭くなり物事の全体が见えにくくなり、身动きが取れなくなることがあるので、注意していただきたいです。
悩むことは自分について考える手掛かりとなる大切な力ですが、まずはあなたが信頼できる人とお话してみるとか、本や映画で一人の时间を作るなど、自分の不安や紧张が和ぐような时间をもちましょう。そのうえで、伸び伸びとした考えをすることができるようになってくると、自然と力が涌いてくることが多いのではないかと思います。
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?人は何のために生きているのか?
人は何のために生きているのだろうかと考えたり、悩んだりする人もいるかもしれません。何のためであるのか、本当のところは谁にもわからないことのような気がします。
私の话をしますと、私は18才くらいのときに「人は何のために生きているのか」と悩み、勉强がまったく手につかなくなりました。高校3年生のときから2年くらい悩んで私なりに出てきた答え、それは「幸せになるために生きている」でした。私にとって、幸せになるとは人生を楽しむことで、人生を楽しむこととは真実に触れること、善いと思うことをすること、美しいものを美しいと感じることであると思いました。これは私がたどりついた私なりの答えであって谁かに押し付けるものでは决してありませんが、何が起きても「そこにどのような真実があるか」と自然に考えるようになりました。 -
?人生に正解はない
これまでの受験勉强では正解が一つだけありました。でも皆さんがこれから生きていく上では、一つだけの正解しかないという场面はほとんどありません。ですから能动的で主体的に物事を考える习惯をつけようと意识して暮らすことをお勧めします。
「贵重な青春时代をコロナ祸で夺われた、损なわれた」と思うことはあるでしょうか。コロナ祸は、まだ収束したわけではありませんが、みなさん大変でしたね。まずはお互いに労いの言叶を掛け合いましょう。
しかし谁かを恨んだり怒りをぶつけても、自分の状况は変わりません。それよりも、どうしたら自分の欲求が満たされるのだろうかと考えてみます。「现実という制约」は、ときやところに関わらず多かれ少なかれあります。どうしたら “リスク回避” と “欲求充足“の折り合いを见出すことができるか、を考えてみるようにすることをお勧めします。それは”妥协“というより”発想の転换“というイメージを抱いてほしいと考えます。 -
?大学に行きたくない
「大学は何のために行くのか。意味がないのでは? でも避けることもできない。结论としては自分でも大学は卒业したい」という葛藤を抱え、受け身的な気持ちで尻込みしている学生を毎年みかけます。
避けて済ませられるようでしたら、避けたり逃げたりするのも决して悪くありません。例えばブラックな环境から逃れ、自分に合った环境をみつけること、生命を第一に考えることはとても大事なことです。
でも俄かに避けることも逃げることもできそうにない、自分としてもここをなんとか乗り切りたいと考えたとき、现実は変えられなくとも、闭塞した気持ちから解放され抜け出す道もきっとあると思います。
そのようなとき「どうしたら最小のエネルギーで必要十分な効果を得られるだろうか」とプレイフルに(游び心まじりで)その突破口を见出だすことにチャレンジしたら、苦痛も多少は和らぐのではないでしょうか。